今夜は夜更かし、さらば現実

jazzとrockなどの音楽や洋画と洋画内の俳優に熱心なドイツ語を勉強している文学部生による

ローマの休日と夜更かし


ローマの休日』と夜更かし、午前十時に。平日午前の映画館は人が少ない。


携帯を3度、同じ人が鳴らしていた。上映中に。なかなかの…悪行である。


映画上映中は静かに座っておるべきである。しかし、『ニュー・シネマ・パラダイス』には大幅遅刻をかましたし、そのあとで『マミー/Mommy』を観たのだが、表現がほんとうに苦手で映画の途中で出てしまったので、これもまた(他のお客に対して)悪行であるのであまり人のことは言えない。電話の電源は必ず切っているものの。


最後まですこし辛抱したまえと我ながら思う。読み通せない本があるように、観通せない映画もあるものなのだろうか。そういえば、Wes Andersonの『グランド・ブタペスト・ホテル』を最後まで観られなかった、という人がいて、「なんでですか?」と聞いてしまったが、あぁ、映画にも合わないというのがあるのだ。

良い映画であっても、たとえば人参の味が嫌いな人は、おいしい人参であればあるほどしっかり人参の味がするので、おいしい人参はとてもおいしくないと感じる、みたいなものであろう。ということにしておく。




ローマの休日』はタイトルだけは100回聞いているものだから、観ておくかと出かけたのだが、すべてをさしおいて、オードリー・ヘップバーンが美しく、かわいく、すばらしく魅力的である。


最近映画の授業を取っていて、その先生が「昔オシムがサッカーの日本代表監督だったとき、『走ればいいってものではない。考えながら走れ』と言ったものだが、映画も考えながら観てください、できるはず。」とおっしゃるので、心がけているが、この映画は特に考えなくていいのではないかと思ってしまった。だって主役の2人が素敵すぎて、もはや一緒に画面に出ているだけで視覚的快楽がある。


1番すてきなシーンは、追手から逃げるため河に飛び込んだあとのすぶぬれのままのシーンじゃないかとおもう。1番好きなシーンは現像した写真に気の利いた見出しをつけていくシーン。可笑しくも、もう思い出になってしまった哀しみがあふれる。



ニュー・シネマ・パラダイス』と『ローマの休日』とナンニ・モレッティの『息子の部屋』を続けて観て、我がイタリア語の全知識はオノナツメの『レストランパラディーゾ』『Gente』によるものということがはっきりした。


グラーツィエ。ブナオセーラ。

"プロンプト"(もしもし)も覚えた。

そういえばドイツ語に"もしもし"はない。





ニュー・シネマ・パラダイスと夜更かし


ニュー・シネマ・パラダイス』と夜更かし…といいつ新・午前十時の映画祭だから午前中。精神的には夜更かし。


新・午前十時の映画祭とはトーホー系とか全国いくつかの映画館が午前十時に1日1回名画を上映するという企画で、1週間か2週間ごとに上映作品が入れかわってゆきます。で、今週はこれ。


めっちゃ楽しみにして、ネットであらかじめチケット取って、までしてたのに思いっきり寝坊、20分遅刻しました。いやぁ…わたしが他の観客だったらイラっと…しますね……なかなかの大罪ですね……。もうしません申し訳ありません…。


その映画館が建物の上の方にありまして、エレベーターで行くのですが、ガラス張りがちょっと珍しかったのか、それともポップコーンの匂いが充満してたからなのか、一緒に乗ってた男の子(小)が、しきりにお父さんに「これが映画?これが映画なの?」と尋ねていました。それはちょっと思いつかなかったな。笑ってしまいました。


映画。

めっちゃ良い映画ですね。

拍手喝采しました(心の中で)。

以下台詞とかありの感想。冒頭20分観ていないのに感想。





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監督ジュゼッペ・トルナーレ。1988年、イタリア、124分。


まず、映画を観る子供時代の主人公の表情だけでも、あの映画の素晴らしいさが現れていると、思います。

スクリーンを見つめる少年の笑顔、開いてしまって塞がらない口、落ち着かない手足、ぜんぶの動きから映画への愛があふれていて、観ていてこっちが笑顔になります。なにかに夢中な人を見ると、嬉しくなってしまいます。夢中になるっていうのは、きっとやっぱりいろいろなことのはじまりです。大好きなことは追いかけられます。大好きなものを必ず追いかけ続けることができるわけではありませんが、夢中になれないものは追い求められないからです。だからなのか、夢中になる姿には輝きを、なにかの可能性を、なにかのはじまりを見ます。


で、アルフレード(トトの町の唯一の映画技師のおっちゃん)は、トトにその輝きを見たのだなあと、わたしは思いました。そしてその輝きを消さないで、それを実らせてやろうとアルフレードはトトに、この町から出て行けと、言うのです。はぁ、これは、わたしが思うに、すごく良い大人です。こんな大人いません。


アルフレードは、小学校卒業試験にも合格するにも苦労するような学の無い人ですが、人間とその生活を知っていたのだと思います。それは多分きっと、映画をたくさんたくさん毎日毎日観ていたから、いろんな人の人生を、物語を観ていたからだと思います。


井上ひさしさんが『本の話』という本で、わたしは文庫本で読んだのですが、「本には人生のいろんなパターンが詰まっています」という内容のことを書いてらっしゃいました。わたしは、物語をたくさん読んだら、なんだかこの人生はやばいぞ、良くないほうへ転がりそうだぞ、とか、これはよい調子だからぐんぐん行ってよいときだぞ、ということに気づけるんじゃないかなと思っていたんですが、そんなの実体験じゃない、と言われるかな(誰にかはわからないけれど)というふうにも思っていました。でも、ああ、そういうふうに考えるのはそう間違いでもないんだなと思ったのです。


それで、アルフレードは言います。

「自分のすることを愛せ。幼いころ映写室を愛したように。」

この台詞が大好きです。



そうして、トトは映画監督になって、アルフレードが死んでから帰ってきて、アルフレードの形見のフィルムを観ます。そのフィルムは、映画館が教会と一緒だったときに、上映が自重されたキスシーンの編集版でした。


それには物語の中の愛と、アルフレードの映画への愛と、アルフレードのトトへの愛が詰まっていたのだと思います。


大好きな映画になりました。








Donny McCaslinと夜更かし


Donny MaCaslin "Fast Future"と夜更かし。


マッカスリン初めて聴きました。プロデュースがDaivid Binnyと聞いて、ジャケットがよかったのでタワレコでサクッと買ってしまいました。


ライブのための東京のためにぜんぜんCD買わない最近のパワー分配もどうかなとおもいつつ、ライブ行きたいがち。

5月のパティトゥッチのエレクトリック・ギターカルテットと6月のネルスクライン・シンガーズが楽しみかつ、、、というところ。トウキョーはずるいぞ。


で、マッカスリンは、おいおい、かっこいいなおい。とコンポの前で言ってしまうくらいにはかっこよかった。

そらそうですが、デイビット・ビニーのAnacapaの感じはありました。全体のサウンドとしてメセニーっぽさというか、はあるんじゃないでしょうか。ビニーがメセニーのサウンドはすごく影響受けてるとAnacapaのときにどこかで(……)公言してましたし。派手(という形容が正しいのかはわかりませんが)なサックスにエレクトリックなサウンド、ここでコーラスくるー、の感じ。スケールでかくて好きです。視界が開けて明るくなっていく感覚を音楽で見せてくれるアルバムだと思いました。


Mark Julianaのドラムがいいです。弾けてるぅ。54 Cymru Rythmはマークさんのドラムのためにある曲です。聴いててこっちの筋肉が緊張するようなドラミングです。たぶんマークさんは脱力ゆるゆるなんでしょうが…。よい意味で軽いマークさんのドラムの上物の音が脳みそを刺激してきます。


グッド・メロディ!と思うのはLove What is Motal。めっちゃええ曲…。これ、朗読…じゃないなんていうのか、トーキング・ワードがはいっているのですが、無くてもよい(というかいら…)と思いますがどうなのでしょうか…いや、潜ったようにここがあって、こっからじわじわと再浮上していくためにも必要なのかもしれません。


なんか書いてたら他にもっと特筆すべき曲があった気がしてきました。ソロこれ!と思ったのどれだったかな。聴きなおしてきます。おいこら。


1回目聴いたとき、楽しくなってAnacapaを続けて聴いて、Daivid Binnyすげー、ってなって、続けてKin(→←)を聴いて、Chris Potter、最強…となりました 笑



Paul McCartneyと夜更かし


Paul McCartneyと夜更かし。


Paul McCartney来日!

the Beatlesのファンだとのたまいながら、去年ポール来日のチケットを取らず、後悔していたら、体調不良で全公演中止、今年再来日。


というわけでバイト終わりに京セラドームへ。チケット代はバイト3日分です。ええ。ポールのためなら。


一応S席だったのですが、ドームって遠いんですねえ。人生最遠更新。


35分(!?)押しで開演。


以下やった曲名など有りの作文。なにせビートルズの曲しかほぼ知らないので大いに偏った作文。いちばん最後に一般的な感想からズレまくったよくわからん感想がありますのでご容赦ください。



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Magical Mystery Tourにて開幕。マジすか。これにはやったーでした。


Can't Buy Me Love。わお。大好きなアルバムの(というか、ビートルズの中で普段よく聴くアルバムの)大好きな曲。自転車漕ぎながらよく歌ってる曲。を、ポールが、そこで、歌ってる!!!嬉しすぎて楽しすぎて頭のヒューズが飛んだのか、どう思い返しても30秒くらいで終わったとしか思えない。ポールちゃんと2番歌った?とばしてない?(とばしてない。)


And I Love Her。弾き語り。くぅ。


「次はサージェント・ペパーの曲やるよ。あっちがう、これイエローサブマリンの曲やった」(※実際にはポールは大阪弁ではなく英語を話していました。)というMCからAll Together Now

「こっちがサージェントや!」で、Lovely Rita。


Something。ジョージに、とのこと。だからというわけでもないけれども、なんだか感動して動けなかった。


Let It Be。泣いた…、ピアノ弾き語りから…、思い出しても涙が出る…。最高。


セットリスト見返すと、ビートルズ楽曲もほんとに多い。


アンコールでDay Tripper、

I Saw Her Standing Thereとあと多分ウイングスの曲。


ダブルアンコールでYesterday。これがまた、ギターとキーボードだけでやったのだけれども、これはもうそら。


Helter Skelterやって、Golden Slumbersかまして終幕。



はて。すごいですね。もちろん上に書いたのは一部というか、個人的にくぅぅ、となったところを取り上げただけなので、まだ他にもいっぱい曲はやったわけですが。それでこれですからね…。


ありがとうポール!!


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という感じで思いかえせばたいへん楽しい時間でした。


しかし、ビートルズをスタジオ・アルバムを通してしか知らなかった(時系列で同時性をもってビートルズを聴いたわけでも、インタビューやバンドヒストリーに詳しいわけでもない)わたしにとって、


このライブは、

ほんとにポールが目の前で歌ってる!!!という喜びと、

ポールのバンドがジョンとジョージとリンゴ無しでビートルズの曲をやってるのを前に、ビートルズはほんとにもう無いんだ。という(いや、ビートルズ私が生まれたときには最早解散してるのだけれども)哀しみを

いっぺんに感じるものとなりました。


うううん、となりました。

ポールは、というか、バンドとして、そら、音楽的最盛期は越しているというか。ビートルズと比べるわけにはいかないと思いましたし。



ビートルズが解散して、それぞれの活動があって、ジョンが亡くなって、ジョージが亡くなって、その流れを感じてきたビートルズ、ポールファンからすると、なに言ってんだこいつ、という感想ですが…。


しかし新曲がかなりかっこよくて、それってほんとすげえよなぁ、とも思いました。


あぁしかし、今日ポール・マッカートニーがわたしの前でギターを弾き、ピアノを弾き、歌っていた、ロックンロールを叫んでいたということは、とても幸せなことでした。



うぅん、ロケンロー。










Noel Gallagher's High Flying Birdsと夜更かし

 

ノエル・ギャラガーと夜更かし。

 

友人に誘われ、4月7日のフェスティバルホールへNoel Gallaggher's High Flying Birdsを。のこのこ。

ロックの大物を初めて生で観る。

 

ノエル登場、ギターをギャーンと鳴らして、もう一発で、「あ、コレや」。

あ、これはほんもののやつや。

きた、これ!!!!!!!!!!!!!

 

そしてめでたく2時間後、そこにはノエル・ギャラガー・ファンが誕生していたのであった。ワクワクドキドキし続けました。ガツンっと来てあとはもう360度ロックでぼくもわたしも歌って踊って痺れてぞくぞくして、くそカッコいい音楽。問答無用、こちらをどうぞ。もうバッチリばちこーんでした。ロック・スターね、なるほど、スーパーマンに勝るとも劣らないというか勝る。

 

フジロックに出ることが正式に発表されていないのに、公然と出るらしいという話になっていたこのバンド、曲間にファンから「フジロック来る!?(英語)」と聞かれ、ノエルが「Hh? You going?」とかなんとかしらばっくれてて笑いました。とかいいつつ、聞こえなかったんですが、さいごに「See you FUJIROCK」って言ってたみたいです 笑。そして二日後にe+から「ノエル・ギャラガー出演決定!!」ってメルマガ来てまた笑いました。

 

Oasisの1st聴きました。聴いたことなかったのです。ネットで1stが出たときのノエルのインタビューを読みました。"If somebody says: "Dou you want toput into how-many-ever fucking milliom homes on a Thursday night?" it's like,"Yeah."とノエルは言い(うまく訳せん!)、「レコードを買ったやつがママとパパに言うんだ、『見て、これが僕のハマってるバンドだ。これが好きなんだ。』って。いくらかのヒットを飛ばしたイングランドのインディーバンドになりたいんじゃない。」って言って、「20年後も俺たちのCDはCDショップにあるだろうし、みんなそれを買って聴いてるだろう。」てって言ってました。21年後にそのアルバム聴いて、そのインタビュー読んで、カッコよすぎて笑いました。

 

 

最高。

 

 

 

 

グリーンマイルと夜更かし

グリーンマイル』と夜更かし。


そして次の日一日頭が痛くなるほど泣くこととなる。とんでもない物語だ。うーん、すごいぞトム・ハンクス。すごいぞフランク・ダラボン(脚本・監督)。この方は『ショーシャンクの空に』の監督でもあるとのこと、なるほど。そして。トム・ハンクス演じるポールとパーシー以外の看守三人組がたまらなくすばらしい。小・中・大感……。そしてその「中」のディーンを演じるバリー・ペッパーがわりに細身なので、看守長のトム・ハンクスとシルエットが被らず、この4人のばっちり感たるや。

 

ところで『グリーンマイル』くらいの作品になるとネタバレも無罪放免なのでしょうか。でもこの間ジッドの『狭き門』の文庫の裏表紙のあらすじに盛大にネタバレされてびっくりしたところです。「……そして死を遂げる物語である。」……死ぬんや!!?というかんじで。

 

あらすじでどうのという物語でもないですが。死刑囚と奇跡の力という組み合わせだけでずいぶん力のある話の要素ですが、そんなギミックのための物語ではなく、物語にしか語れないことを表現しているすばらしい物語、すばらしい映画です。

 

なにはともあれ物語のすばらしさについてはきっと語りつくされているだろうから、個人的趣味の話をしよう。Barry Pepperちょうかっこいい。友人に「グリーンマイル観たんだけど、バリー・ペッパー最高じゃないかな」と言うと、「見方が違う……」と言われましたが。それはそれこれはこれ。全く存じていなかったのですが、ガツンです。ディーンが登場し、ん?なんだかよいかんじの俳優さんだな……からの最後に泣き倒してしまうシーンではすっかりファンになっていました。いやはや。あそこのディーン、たまらんカッコいいです。バリー・ペッパー、ばつぐんにカッコいいとかではないけれど、やたらに存在感があるというか。

 

で、まあさっそく画像検索の旅に出るわけですが、ベネディクトやらトム(・ヒドルストン)やら今の俳優さん、というかスマートフォンが普及してから売れた俳優さんて鬼のように画像がネットにあるんですが、そうじゃないと、ざっくざくとはいかない。もちろんかなりあるけど、量がぜんぜんちがう。のだなあということに気が付きました。いやー、ブロマイドが売れた時代が少し理解できました 笑。

 

そして、バリー・ペッパーを求めて『プライベート・ライアン』『トゥルー・グリッド』に続くのであった。

人間の土地と夜更かし

 

サン=テグジュペリ『人間の土地』と夜更かし。

 

『星の王子様』を小学生か中学生かの頃に読んで、こんな小説があるものか、とびっくりしたものでした。その作者によるエッセイ、いやエッセイと言ってしまうとどうも軽いような気がしていますが、随筆集というのが良いでしょうか。

 

サン=テグジュペリ(1900‐1944)は飛行士で、飛行機による遠距離郵便の黎明期にそのパイロットとして働いていて、『人間の土地』ではその当時の経験から綴った文章が連なっています。彼の処女作「南方郵便局」、彼の作品の中でもよく知られている『夜間飛行』は小説ですが、これらの作品でも危険をかえりみず飛行機輸送を行う人々が描かれています。両作品ともすばらしい。そして、『人間の土地』を読んだ後に読んでよかったという気持ちがしました。というのもサン=テグジュペリの思想、もしくは哲学は高邁と形容するのが似つかわしい、我が平凡な日常と脳みそからは遥か彼方の次元に生み出されており、それが小説という形で表されたとき、彼の哲学を知らずしてうまく飲み込むことができたかどうか私には怪しいからです。いや今もうまく飲み込めたかはわかりませんが。

 

さて、『人間の土地』は2014年に読んだものの中でもっとも感銘を受けたもので、しばしば危険な行為となりうる「本を(文学を)薦める」という行為にうつってしまうほどでした。薦めた友人も大変興味深く読んだとのこと。2014年に最も衝撃を受けた『一九八四年』も違う方に薦めてしまいましたが、そちらは、面白くないので途中でやめたという報告を受けるという結果にのみ終わりましたので、危険な行為であることには間違いありません。

 

素晴らしい文章の中から素晴らしい一節を引くことは、前後のコンテクストを排してしまいかねないこれまた危険な行為ですが、しかしその素晴らしさゆえに敢行します。

 

「努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。」

 

「人間であるということはとりもなおさず責任を持つことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。」

 

「たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめて僕らは幸福になりうる。そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる。なぜかというに、生命にいみを与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。」

 

サン=テグジュペリは人々の中にいる「モーツァルト」が死んでゆくことに心を悩ましています。自分の中にモーツァルトがいることを信じて生きることは、なんと希望のあることか。しかし同時に、そう信じることによって生まれ得る苦しみというものにも思いを馳せてしまいます。ロビン・ウィリアムズ主演の『今を生きる』で、ロビン・ウィリアムズ演じるキーティングは同僚の先生に「芸術者たれと教えるのはいかがなものか、生徒が自分はモーツァルトじゃないと気づいたら恨まれるぞ」と言われます。「芸術家たれ、じゃなくて、自由思想者たれと言っているだけさ」とキーティングは返します。そして映画のあの結末。ううん、しかし僕らは希望を持って生きなければならない、人間として……。そのようなことを考えます。