今夜は夜更かし、さらば現実

jazzとrockなどの音楽や洋画と洋画内の俳優に熱心なドイツ語を勉強している文学部生による

ニュー・シネマ・パラダイスと夜更かし


ニュー・シネマ・パラダイス』と夜更かし…といいつ新・午前十時の映画祭だから午前中。精神的には夜更かし。


新・午前十時の映画祭とはトーホー系とか全国いくつかの映画館が午前十時に1日1回名画を上映するという企画で、1週間か2週間ごとに上映作品が入れかわってゆきます。で、今週はこれ。


めっちゃ楽しみにして、ネットであらかじめチケット取って、までしてたのに思いっきり寝坊、20分遅刻しました。いやぁ…わたしが他の観客だったらイラっと…しますね……なかなかの大罪ですね……。もうしません申し訳ありません…。


その映画館が建物の上の方にありまして、エレベーターで行くのですが、ガラス張りがちょっと珍しかったのか、それともポップコーンの匂いが充満してたからなのか、一緒に乗ってた男の子(小)が、しきりにお父さんに「これが映画?これが映画なの?」と尋ねていました。それはちょっと思いつかなかったな。笑ってしまいました。


映画。

めっちゃ良い映画ですね。

拍手喝采しました(心の中で)。

以下台詞とかありの感想。冒頭20分観ていないのに感想。





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監督ジュゼッペ・トルナーレ。1988年、イタリア、124分。


まず、映画を観る子供時代の主人公の表情だけでも、あの映画の素晴らしいさが現れていると、思います。

スクリーンを見つめる少年の笑顔、開いてしまって塞がらない口、落ち着かない手足、ぜんぶの動きから映画への愛があふれていて、観ていてこっちが笑顔になります。なにかに夢中な人を見ると、嬉しくなってしまいます。夢中になるっていうのは、きっとやっぱりいろいろなことのはじまりです。大好きなことは追いかけられます。大好きなものを必ず追いかけ続けることができるわけではありませんが、夢中になれないものは追い求められないからです。だからなのか、夢中になる姿には輝きを、なにかの可能性を、なにかのはじまりを見ます。


で、アルフレード(トトの町の唯一の映画技師のおっちゃん)は、トトにその輝きを見たのだなあと、わたしは思いました。そしてその輝きを消さないで、それを実らせてやろうとアルフレードはトトに、この町から出て行けと、言うのです。はぁ、これは、わたしが思うに、すごく良い大人です。こんな大人いません。


アルフレードは、小学校卒業試験にも合格するにも苦労するような学の無い人ですが、人間とその生活を知っていたのだと思います。それは多分きっと、映画をたくさんたくさん毎日毎日観ていたから、いろんな人の人生を、物語を観ていたからだと思います。


井上ひさしさんが『本の話』という本で、わたしは文庫本で読んだのですが、「本には人生のいろんなパターンが詰まっています」という内容のことを書いてらっしゃいました。わたしは、物語をたくさん読んだら、なんだかこの人生はやばいぞ、良くないほうへ転がりそうだぞ、とか、これはよい調子だからぐんぐん行ってよいときだぞ、ということに気づけるんじゃないかなと思っていたんですが、そんなの実体験じゃない、と言われるかな(誰にかはわからないけれど)というふうにも思っていました。でも、ああ、そういうふうに考えるのはそう間違いでもないんだなと思ったのです。


それで、アルフレードは言います。

「自分のすることを愛せ。幼いころ映写室を愛したように。」

この台詞が大好きです。



そうして、トトは映画監督になって、アルフレードが死んでから帰ってきて、アルフレードの形見のフィルムを観ます。そのフィルムは、映画館が教会と一緒だったときに、上映が自重されたキスシーンの編集版でした。


それには物語の中の愛と、アルフレードの映画への愛と、アルフレードのトトへの愛が詰まっていたのだと思います。


大好きな映画になりました。